ロータス40のキットは「田宮模型全仕事・2」(平野克己 他著)
によれば、1966年5月発売となっており、ちなみにキング・コブ
ラの発売は1966年7月となっている。
イーベイで見た初期型フレームの着色ボディーのキットは多分
5月に発売されたのであろうが、私は7月に発売されたキング・
コブラでも同じ初期型シャーシーとブルーの着色ボディーの物を
確認している。 ・・・と云う事は、この初期型シャーシーは1966
年の7月以降まで発売されていたと云う事になり、この間、世界
中に結構な数が販売されたであろう事が伺われる・・・。
それなのについ最近までこのキットを見かけなかったのは私だ
けだったのであろうか・・・?(笑)
(当時、私より年長の団塊の世代のスロッターの方達は、殆んど
の方がこの初期物のフレームのロータス40やキング・コブラを
作っていたのだろうか?と想像してしまう・・・。)
また、手持ちの初期型フレームの軸受け部分を何台か確認した
のだが、ベアリングの注入にはなんら問題は無かったし、逆にベ
アリングの精度が今ほど高くなく、シャフトもすんなり通るものば
かりであった。 ・・・それではなぜ、タミヤはアルミの軸受けを追
加したシャーシーを発売したのであろう・・・?
当然、軸受けの変更に当たっては、インストラクションも新しい
物に印刷し直されている。
・・・つまらぬ仮説はいくつか考えられる。
1、初期のダイキャスト・フレームの精度が悪く、バリなどが存
在し、上手くベアリングが入らなかったか、またはホールの
微妙なズレによってシャフトの回りが悪く、ベアリングの効果
を発揮させられなかった。
2、当時の田宮のベアリングは幅があったので、他社部品のス
ーパー・ギア等を使うと、トレッドが広くなり、タイヤがボディー
からはみ出した。
・・・などと、私は考えていたのだが、果たしてそうなのだろうか?
元来、このD型のダイキャスト・シャーシーはギア・レシオが変え
られない設計になっている。 同じ時期にCOXはDINOと2D
を発売し、こちらはモーター・マウントをスライドさせる事により
ギア・レシオの変更が可能なシャーシーになっている。
多くのスロット・カーが、インラインからサイド・ワインダーに変り
シャーシー構造が過渡期を迎えた時期でもある。
タミヤがこのダイキャスト・フレームの軸受け穴を広げる為にど
んな作業をしたのかは判らないが、手仕事でドリルで広げる事
はちょっと難しかったと思われる。 当然アルミの新しい軸受け
をフレームに正確に取り付けるには、それなりのジグとドリリン
グが要求されたと思われる。 綺麗にフレームに刻印されたT
AMIYAの文字に穴を開けてまで、なぜアルミの軸受けを追加
しなければならなかったのだろう・・・???
ボディーカラーが色付きからホワイト・ボディーに変ったのは、タ
ミヤが自社製の模型用塗料を発売したからなのか・・・?
それとも単に、時代の風潮でモデルに自ら塗装を付す人が増え
た為なのか・・・?
ちなみに、スロット・バブルが一気にはじけた後に発売されたモ
ーターライズ・キットは、初期のスロットと同様の着色された成型
色のものが採用されている。 蛇足だが、このモーターライズ・
キットにも2種類の包装形態が存在する。 私のUPしたものは
K&Bのキットと同じ方法の包装で、シャーシー部分だけブリスタ
ーされ、ボディーは裸の状態で箱に詰められている。 初期?の
物は、ボディーも含めて各々の車を形どったブリスターが一体で
掛けられていた。