(続)木製ボディーのFERRARI 

Source:  MOTOR RACING The pursuit of victory 1930-1962

 

1週間ほど、RUSSKITのワイヤーホイルに変えたこのフェラーリを

パソコン脇のテーブルの上に置いておいたのだが、やはりホイルが

さすぎ、気になってしょうがない・・・。(笑)  

来た時の最初のホイルに戻そうかとも思ったのだが、DYNAMICの

一生使いそうに無い半端な大き目のホイルがあったので、手持ちの

ーツを使って簡単なワイヤーホイルを作ってみた・・・。

このホイルはリムの部分がラウンド形状なので、とても普通の車に

使えない代物なのだが、こんなハンドメイドの素朴な車には許して

えるかな~? と、思ったからだ。

ワイヤーホイルのエッチング・パターンは、むかし買いだめたトミーの

32のSS100の物だ。  ホイル・リムの内側をボール盤と彫刻刀で上

手く入る様に削りだし、パターンは簡単にエポキシで接着してある。

やはりスポーク部分が小さすぎて見た目はいまいちだが・・・、目を細

めて見れば、タイヤ、ホイルが大きくなった分だけ、RUSSKITよりは

幾分それらしくなった様な気はするのだが・・・?! (苦笑) 

  

 

 木製ボディーのFERRARI

 

MkⅠとDB3の進捗状況ははかばかしくないのだが、先週手元にイタ

リアからやって来た古典的なソリッド・モデルのフェラーリを分解したり

して・・・、先週末は遊んでもらっていた。  

eBayを通して買い込んだ車なのだが、シャーシーも木製で、ちょっと

オーバースケール気味(ウエイトも230g以上)では有るが、私にとっ

は古典的で興味深いであった。

   

上の3枚の写真はeBayのオークションに載っていた物で、概要には

1954年のScience and Mechanics の記事に触発されて製作した

旨が記されていたが、フロントホイルとタイヤはMPCの物で、リアも

60年代中期のタイヤとホイルが一体になったシリコン物を幅を削っ

て装着してあった。 ボディーは何の木かは判らないが、バルサでは

なく結構硬い木で製作されている。 フェラーリのマークが入っている

ので多分、53年の500F2辺りがモデルになっていると思われる・・。

ボディーの削りだしも左右対称で上手だし、もし500だとしたらテール

が多少短い気もするが、木材の表面処理と塗装も大変上手で綺麗に

出来ていると思う。 ハンドルも木を削りだして作っているので、ソリッ

ド・モデルに長けた方の製作の様だ・・・。 インパネも金属を上手くカ

ットして作られているが、メーターデカルに経年のヤケがあまり見られ

ないし、ボディーの塗装もヒビも無く光沢を失っていない所を見ると、こ

こ10~20年ぐらいの間の製作かと推測してしまう。 また、フューエ

・キャップもエグゾースト・パイプも単純明快で綺麗な工作である。         

   

  

ホイルとタイヤをラスキットとレベルに変えたりして遊んでみたのだが

やはりホイルが小さすぎて、最初の車より迫力が無くなった様に感じ

・・・。 ・・・・フェラーリがスタンゲリー二になったみたいだ。(苦笑)

ご覧のようにフレームは1枚物の合板で、モーターの抜きの部分だけ

裏からアルミ?で補強されている。 ・・・それにしてもこの車に付いて

いるモーターが大きいので驚いた。 Pittmanの様だが今までに見た

ことが無い大きさだ。   ・・・この後、二晩ほどPittman のモーター

迷宮に迷い込む事となるのだが、60年代当時のモーターはWネー

ムの事が多く、同じモーターを違う会社が違う名前で出していたりする

ので特定が難しい。 モーター本体の長さだけでも6cmも有り、重量

も結構有る。 今のところDC-62のB型?ではないかと思ってるの

だが・・・?!  古い Pittman のモーターについてはスロット関係よ

り、古くからの鉄道模型の方のほうが、良く知っているかもしれない。

 

⑤ 巴里の5日間

つかの間の連休は、アストンのパテ盛りと削り等で過ぎていった・・・。

 

すでに昨年秋の旅行の話で、季節はずれで遅きに失した感が強い

が、晩年のモネの邸宅であるジベルニーの写真でもUpしてみよう。

本来は実質8日間のパリ滞在を計画していたのだが、やはり仕事

の会合が引っかかり、実質6日の旅行になってしまった。 いろ

いろ疲れ果ての、のんびり目的の旅行だったので、オプションのツ

アーなどは殆ど入れていなかった。 しかし印象派の絵画鑑賞は目

的のひつでもあったので、後からネットで時期はずれかな~?と

思ったのだが、このジベー・ツアーを追加してみた。 

・・・もうひとつ入ったのがサッカーオール・ジャパンとフラン

のテスト・マッチだった。  フランスと対戦できる試合などめった

観戦出来ないし、夜のゲームでもあったので、こちらのチットも

ってしまった。

  

  

   

ジベルニーへは、ツアー・バスで途中の高速A13が混まなければ1時

間半弱程で到着する。 すでに10月も半ば近くで、朝夕の気温が10

前後になっていたので、美しい花壇にはそれほど期待していな

たのだが、盛りは過ぎてはいたが未だに色々な花々が残っていて、

期の名残を楽しめたのはラッキーであった。

このジベルニーのモネの庭は結構な広さがあるのだが、花壇の花の

植え方が乱雑で、イングリッシュ・ガーデンともちょっと違う、ある意味

素人の庭と云う印象を受けた。 なんでもガーデナーが6~7人居る

そうだが、ただ自然に任せているという感じだ。  道を隔てた下側に

は睡蓮で有名な”水の庭”がある。 行った当日も各国から結構な

数の観光客が来ていたので良い写真が撮れなかったが、天気にも

めれ、モネの自宅や庭園、それに連作の画題にもなった睡蓮が見

れただけでも幸せと云うものだ・・・。  日頃の仕事のしがらみや、趣

味のおもちゃの事など・・・、すべてを忘れて、まったく無関係の ”か

っぽ” の旅もこの歳になると必要なのかもしれない?!

③ 1/24 TAMIYA の JAGUAR MkⅠ(VDU881)

       

Source:  Mike Hawthorn-a Tribute

自民党政権に変わってからのここ1ヶ月ほどの日経の株価上昇は、

ネガティブ思考の私の想像を遥かに超えたすさまじいものがある。

本当に日本の企業実態がこの株価に即応しているものかは判らな

いが、輸出関連企業は大きく一息つけた事だけは確かな様だ。

模型作りの方はなかなか進まず・・・、とりあえず、ボディーサイドの

金属モールはすべて引き終えたし、MkⅠの内装にちょっと手間取

ていたが、それもどうにか適当に切り上げる事が出来た・・・

あまり見えない部分なので、こんなところで妥協しよう・・・。(苦笑)

  

    

それにしても、ボディーは傷だらけだし、自作の窓枠も適当な作りな

ので、なかなかモチベーションがあがらない。 おまけに当時のホー

ソンのVDU-881にはリアトランク上にゼッケンが無いことが判り、な

おの事 ”これ、ど~すっかな~??!!” と、製作の足を引っ張っ

ぱる原因になっている。 (本当に、アンタにはがっかりだよ~!!)

・・・ちゃんと資料をそろえて段取りを整えてから行かないと、失敗ば

かりでなかなか先に進めないし、ろくな車は出来ない。 (涙)

インパネはプラ板で大体の寸法で製作し、ハンドルもプラの丸棒か

製作している。  多少いびつだが、ホーソンの3.4のMkⅠには

このタイプのステアリングが付いていた様だ・・・。  ここでも失敗を

繰り返しているのだが、タミヤのトにはちゃんとメーター類のデカ

ルが入っているのに、わざわざデカルから寸法違いのデカルを

探し出し、張ってしまった。 見えない所だからいいや~と云っても、

出来はいまいちだし、デカルをす時間も無駄にした~。 

(あたま、ボケてんじゃね~の~?!)