レベルのロータス・フォード(25)

瞬く間に、今年も半分が来てしまいました。
よく、「捨てる神あれば、拾う神あり・・」などと云いますが、どうやら私には”拾う神”が憑いている様です。(笑)
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私の模型部屋(3畳程の屋根裏)の床には、数十個のプラスティック・ケース(100円ショップで買った物)が積み重ねてあります。
ケースの中身は古いスロット・カー達で、手付かずのジャンクもあれば、製作途中で頓挫したもの、中には、割れ欠け、パーツの欠品多数で、一生モノにならない様な車(パーツ取り)まであります。
ブログの最初が23Bで、その後BRMと来ましたので、今回はその箱の中からレベルのロータス・フォード(25)をUPしたいと思います。
この車の製作開始は、やはり数年前でした・・。
2台とも塗装まで済んでいたのですが、欠品パーツが多く、今年になり何とか形になった車です。

この車は、ジム・クラークが1962年のイギリスGPでドライブした車をモデルにしています。
レベルのロータス25は、レベルのスロット・カーの中でも初期のもので、日本のスロット・カーのボディーにも大きな影響を与えた車の様に思います。
今の目で見ると、ボディーはやはり”おたんこ”と云わざるを得ませんが、1/24のモデルに恵まれない25ですし、45年前のモノだと云うことを考えれば、上等の部類に入るのではないでしょうか・・・。
2台ともジャンク状態のモノでしたが、この車は欠品が少なく、無塗装でしたので、製作は楽でした。
いじった箇所はリアのカウルの穴あけとファンネルをハトメに変えた位です。
ラジアス等のロッド類も付けようかと考えましたが、あまりいじりすぎると当時の雰囲気を損なうと思い、モデルの車の表現だけに留めました。

この車は1963年の Aintree 200 のレースの時のもので、タイトル争いをするクラークが、チームメートのTrevor Taylor の車に乗り換えて戦った時の車がモデルになっています。
この車は本当のジャンクで、スクリーン、エグゾースト、モーター、モーター・マウント、ホイルインサート、ドライバー、その他欠品多数で、殆どボディーとフレームにタイヤだけの状態でした。
マウントはアルミなので、ハンズで同じ肉厚の素材を買い、ボール盤で穴あけし、リアのエグゾーストもアルミ・パイプで自作しています。
スクリーンはヒート・プレスですが、オリジナルのスクリーンが大きすぎ、又、前面も立ちすぎているので、多少低めに作ってみました。
右の写真はシャーシーですが、手持ちのスペーサーが少ないので、フロントは内側からスペーサーとダイナミックのストッパーで止めています。
その内、内径3,2mmぐらいのアルミか真鍮パイプを見つけておきたいと思います。

Auto World ③

ここの所、NHK BS2で「ミス・マープル」を楽しみに見ています。
イギリスの当時の風物がリアルに再現されており、先日も初期のモーガンとXK120が登場していました。
  
上の写真は1970年にCAN-AMを戦うAUTO WORLD XLRの勇姿。
ボディー・カウル上部にはスロット・カーのサーキットが描かれており、いかにもオスカーらしい奇抜なデザインです。 サイド・ステップにも当時のプラモデル・メーカーやスロット関係のステッカーが所狭しと張られています。
(Source: PIT STOP)
1969年からCAN-MAに参戦したオスカーは、この年、第1戦 (Mosport Park) と第6戦 (Road America) でポイントを獲得し,ランキング23位(23/32)になっている。
1970年は、第2戦 (Mont-Tremblant ) と第7戦 (Road Atlanta) でポイントを獲得し,ランキングは15位(15/31)と健闘している。
特に第7戦では4位に入賞すると云う大活躍であった。
1971年に入るとコ・ドライバーに Tony Adamowicz 選手を迎え、第3戦、第4戦 第5戦、第9戦でポイント総数34を獲得し、ランキング7位を獲得している。
オート・ワールドのスポンサーシップでの出場はこの年限りで、レースの方も、殆どを Adamowicz 選手がドライブしている。
又、この年までマクラーレンの一人天下であったCAN-AMも、次の年に出場してきたPORSCHE 917/10 により、様相が一変してしまう。
  
上の写真はACCURATE MINIATURESより発売されていたオスカーのJEROBEEマクラーレン。
右は友人から頂いたXLRのデカル。
(頂戴するまで、こんなデカルが発売されていたなんて、まったく知りませんでした。 笑)

この写真は、同じスロット・カー・クラブでCAN-AMシリーズを戦っているT氏の愛車。
丁度JEROBEE M8Bだったので、写真を拝借させて頂いた。
なんでも、アキュレートはデカルが薄く、T氏はこのデカルをパソコンで自作したそうだ。
(凄い!!)
PS: 戦績の記載にミスがありましたので訂正いたしました。 4/26)

Auto World ②

最近、駐車場に車をまっすぐ止められなくなって来て困っている・・・。
どうしても少し曲がってしまうのだ。  ・・・やはり歳なのだろうか?(笑)
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コヴェレスキー家の人々は、代々のおもちゃ好き、車好き、レース好きと云う点は共通している様だ。
父親のトニー・コヴェレスキー氏も1914年製の Statz Bearcat で、その昔レースやラリーを楽しんでいた様だ。 又、彼はオールド・トイの第一人者でもある。
オート・ワールドの当主であるオスカーだが、彼も人後に落ちない車好きである。
若い頃(1950年代初頭)はMGでSCCAのレースに出場していた。
オート・ワールド社は、販促用なのか個人の趣味なのか・・・?、それともその両方を兼ねていたのか、代々レーシングカーを所有している。
最初の車はトニー氏の Statz で、その次は Ferrari Monza である。(・・凄い!!)  
この車でトニー氏はレースをしていたのだろうか・・・?
オスカーの代になるとマクラーレンのレーシングカーを何台か乗り継ぎ、CAN-AM レースへの挑戦が始まる。
最初の車はMkⅡで、その後M6からM8Bへと進化して行く。
戦績は別にしても、排気量無制限の当時のモンスター・マシンをレーシング・モードでドライブ出来るのだから、やはり運動神経は相当良かったのだろう。
  
オスカーと云う人物を紹介するに当たり、面白い絵と文章があるのでUPしてみたいと思います。
左の絵はオスカー自身が描いた物かどうか判りませんが、オート・ワールドのDVDの中に入っていたものです。
「すべてのスポーツには、それぞれの楽しみがある・・・。」
下の丸の中にはオスカーの心情が描かれている。
1/3は、お酒と娯楽、 1/3は、カー・レース(多分)、残りの1/3はビジネスと云う事だろう。
右の写真はオート・ワールドのHPから拝借したものなのだが、これは社内報なのだろうか・・・。
「私の人生においては、この三つしかない!!」
 1、女性
 2、お酒(ウイスキー)
 3、カー・レース
「そして、お酒とレースにあまりにも多くの時間を浪費して来た。」
・・・と書いている。
日本で云えば、飲む、打つ、買うの3拍子である!!
・・・何という豪放磊落な人物であろうか。
まったく羨ましい限りである。
  
CAN-AMにおけるオート・ワールド・レーシング・チームの活躍はDVDでも見ることが出来ます。
興味のある方は autoworldmobilia.com を覗いて見てください。
(Thank you for Chris Koveleski.)

Auto World ①

今年のUSオープンは凄かったですね~・・。
月曜日(日本では日曜日の深夜)のプレーオフまでLIVEで見てしまい、3日ほど睡眠不足で仕事にならず、参りました。(笑)
  
オート・ワールドの事を書こうと思い、1週間ほど暗中模索を続けておりましたが、内容が有り過ぎて簡単なブログには中々まとまらず、概略だけを何回かに分けて書こうと思います。
オート・ワールドの前身はオスカー・コヴェレスキー (Oscar Koveleski) 氏の父親であるトニー・コヴェレスキー(AJ,Koveleski)氏により設立された小さなおもちゃ工場に始まる。  ・・・その後、生鮮食品マーケットの一部にホビーショップを開設し、2代目のオスカーの快進撃が始まるのである。
このトニー・コヴェレスキー氏も相当な車好き、おもちゃ好きな人物であった様だ。
アメリカという国は日本と違い大きな大陸なので、カタログ販売と云う方法が普及していた。
父親の成功を引き継ぎ、オスカーは車のおもちゃのカタログ販売と云う手法で、全米だけではなくヨーロッパにまで販路を広げ大成功を収める事となる。 (相当の財を成した様だ・・・。)
オスカー自身は、車のおもちゃだけではなく、実車のレース・カーも大好きだった。 ・・・スロット・カーやラジコン・カーの腕前は相当のものであった様だ。
又、オスカーは出版関係にも進出し、オート・ワールドのカタログ以外にも「Car Model」 等のモデルマガジンや実車のレース関係のNews Letter 等も出版していた。
  
上の写真はロード・アトランタのCAN-AMレース中の一コマである。
ローラのドライバーのGary Wilsonが、ラジコン・カーを調整しているオスカーを覗き込んでいる所。
右はオスカーが出版していた、”Car Model” マガジン。
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オート・ワールドの事について、もっと詳しく知りたい方は以下のURLをご覧下さい。
http://www.slotcarillustrated.com/Features/Oscar.shtm/
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1963 Ford Galaxie ②

本当に、1週間が早く過ぎてしまいます・・・。
  
私達が子供の頃は、スロット・カーのシャーシーも見よう見まねの半田付けで、改造したり自作したりして楽しんでいました。
今の私も、古いスロット・カーを勝手気ままに自分なりに作り直して楽しんでおります・・。
さて、この1963年型のフォード・ギャラクシーですが、白地に3本の赤いストライプのボディー・カラーで、1963年のBSCCに J,Willment Automobiles からジャック・シアーズ選手のドライブで第5戦からエントリーしています。
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詳しくお知りになりたい方は、検索サイトで「BRSCC 1963 British Saloon Car Championship] と引いて頂ければ、直ぐに素晴らしいページが出てくると思います。
 http://fp.gplegends.plus.com/BSCC/1963%20BSCC.htm
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ジャック・シアーズ選手は、このシーズン3台の車を乗り継ぎチャンピオンになっています。
最初はフォード・コルティナでスタートし、第5戦からこのモンスター・ギャラクシーで優勝を重ね、シーズン後半はロータス・コルティナに乗り換えています。
この車の登場により、ジャガーMkⅡの牙城が一気に崩壊を始めました。
(この頃のレースは各クラスのポイントが同列で加算されるシステムだった様で、どのクラスの車で走っても総得点が多いドライバーがチャンピオンになった様です。)
又このレースの後半戦では、同型のギャラクシーをダン・ガーニーやジム・クラーク、ジャック・ブラバムやグラハム・ヒル等、そうそうたるGPドライバーがドライブしています。

(Sourse: 1992 Classic cars “Brands Hatch on June 6 1964”)

ゴルフ

今日は、久しぶりにゴルフに行ってきました。
梅雨のこの時期なので多少の雨は覚悟していたのですが、午前中はどしゃ降り・・・!!
通常はOUT(9ホール)とIN(9ホール)の間に昼食を取るのですが、今日はこんな天気なので、一気にスルーで18ホールを回って来ました。
(午後からは雨があがって来たので、この選択は失敗でした・・・。)
ラフがきつく、カート無しの歩きです!!
ゴルフ好きの私も、さすがに今日は疲れました~・・・。
  
                     水面に雨が感じられます・・。

1963 Ford Galaxie ①

まぁ・・・、お茶でも、どうぞ~。
・・・済みません、 だんだん疲れて来ました~。 (笑)
本当はオート・ワールドの事を書く予定でいたのですが、資料と書く内容がいまいちまとまらず、今回はこの車で”お茶を濁す”事にしようと思います。

この車を作ってから早や、7~8年が経つと思いますが、真の意味で云えばヴィンテージ・スロット・カーには当たらないと思います。
ボディーはAMTの63年ギャラクシーの再販物で、シャーシーは自作ですが、フロント、リアの軸受けには現行のパーツを使用しています。
さてこの車、ストック・カーなのにストライプが入り、古いナスカー・ファンにはひんしゅくを買いそうなカラーリングですが、BRSCCの1963年のチャンピオン・カーがモデルになっているのです。
又、1998年の”Classic cars”でもこの車が特集され、私の製作意欲が刺激されました。

この車は、何回かサーキットに持って行き走らせていますが・・、シャーシーを重めに作っては有るのですが、270Sのパワーに当時のスポンジ・タイヤは負けていました。
本来はダイナミックのホイルを付けているのですが、写真を撮るためにお色直しも兼ねて、ウールリッチの”鉄ちん”ホイルに交換してみました。
ボディーが埃とタバコのヤニで随分汚れていたので、中性洗剤の薄め液で拭いていたら、赤いストライプが一部薄くなってしまいました。(笑)
そう・・・、この車はクリア・コーティングをしていないのです。
当時、この車の資料が中々見つからず、カーナンバーが判らなかったのでそのままにしておいたのです。  ・・・ある意味では、これは正解だった様です。(笑)
・・・結局、雑誌に載っていた車を作ることになりました。

レベルのBRM


(sourcs:  july 1998 CLASSIC&Sports car)
ここの所、アトラスの重箱の隅を突く様な話が多かったので、箸休めに昔作ったレベルのBRMでもUPしてみようと思います。

今でもちょっと探せばどこかから出てきそうな当時のスロット・カーの定番ですが、私はこんな素朴なスロット・カーが結構好きなのです。
昔走らせた事がある方も多いと思いますが・・・、日模のポルシェやフェラーリと同様に、当時の雰囲気を最も良く伝える、見ていて”ほっ・・”と出来る車です。(笑)
写真はやはりジャンクから製作したもので、グラハム・ヒルの1961、1962年のチャンピオン・カーをモデルにしています。
もともとレベルの製品ですので、素性は悪くないと思います。
BRM自体もイギリス・レーシング界のサラブレッドですから、奥深いものが有ります。
一番上の写真はイギリスの「クラッシック&スポーツ・カー」と言う雑誌から拝借したものですが、この本は古い車好きには最高だと思います。 私も過去に愛読していました。
中々見られない様な古いレーシング・カーの写真がちょくちょく見られますし、オークションの記事も豊富です。 レストア記事もあれば、パーツ屋さんも載ってますし、時々おもちゃやオートモビリア、アート作品も載っています。
圧巻はトレジャー・ハント的な名車発掘記事でした。
デ・レスピニィ氏所有のインディー・クーパーの記事も載っていました。
・・・何より私が一番気に入っていたのは、古い車の有り方がアメリカ的ではないことです。

(これもジャンクから作ったBRMなので、タイヤやパーツがまちまちです。)

ATLAS ⑧

関東地方も梅雨に入ってしまったようです。
雨の日には塗装が吹けないばかりか、気分もすっきりしません。
さて・・・、マルサンの1/32のキットにはフォードGT,ポルシェ904、ルノー・カラベル、セドリック、クラウン等があった。
アトラスに渡ったのは、この内のフォードGTとポルシェ904だけだと思う。
アトラスにはブラバムBT3と158フェラーリが存在するが、私はマルサンブランドのこの2台を知らない。
このキットだけはアトラスのオリジナルだったのだろうか・・・?
(マルサンにはこれ以外にも HIT RACING LINE なるブランド名で輸出用キットを生産していたふしがあるが、その全貌は良く判らない。 マルサンが関係していたのかも良く判らないのだが、内容はチープな物であった。 その内、その一部でも紹介したいと思う。)
 
写真はアトラスのブラバムとフェラーリの箱絵と内容の一部である。
BT-3はスロットの中では唯一の物かもしれない。
私好みの車種だ・・・。(笑)

写真はマルサンとアトラスのフォードGTのボディーであるが、左側はレストア途中のマルサンの物、中央と右端はアトラスのシリーズⅡのボディーである。
・・・やはり商品化はされなかった。
2台の改良されたボディーはセブリング・カーがモデルになっている様だ。
メッキ・パーツだったライトカバーはボディーと一体成型になり、フロントには新しいダクトとスポイラーが新設されている。
ボンネット上のルーバーも大きなダクトに変更され、リアの意匠にも手が加えられている。
(このボディーで1台作ってみたいのだが、マルサンのボディーを投げてしまうのももったいない・・・。笑)
多分、このボディーの製作にはホセ・ロドりゲス氏が絡んでいたのではないかと想像される。
このボディーも後年、オート・ワールドのカタログに載ることとなる。   
  
アトラスには1/24のクーパーとBRMの2台のF1が存在する。
マルサンはキットの形で販売し、アトラスはRTR主体の形で販売した様だ。
写真のクーパーF1は以前ジャンクから製作したもので、フロント・フレームは真鍮の自作半田付け、フロント・ホイルはフリーにしてある。
タイヤ、ホイル、インサート等はモノグラムのスカラブから拝借した。
ロールバーは切り取ってしまったが、新しい物をまだ取り付けていない。
(フロント周りは実車とは異なり、雰囲気だけである。 笑)