④ 1/24 Ferrari 330(275) P2 (TAMIYA)

コロナ禍以来、外出が少なくなってしまった我が身にとって季節の移ろいは思った以上に早い様で、桜が終わったかと思ったら新緑が目にしみる時期がまた廻って来ていた・・・。  おまけにもうじきゴールデン・ウイークも始まる・・・。

どうにか無理をしてタミヤのP2を仕上げてはみたものの、予定していたルマンのNo22のクーペとは程遠い普通のオープンのP2をまた作ってしまった~・・・。 ・・・No22のP2には機会を見つけて再挑戦するしかあるまい。

好きな車なのだがどうもフェラーリのP2とは子供の頃から相性が良くないのか・・・?、メーカーが違うだけで、同じ様な車ばかりを何台も作っている気がする。 ・・・それも毎回製作には結構苦労しているのだ!(苦笑)

今回はタミヤの再販ボディーのパーツを出来るだけ使用して手間を省いてはいるし、そぐわない様なパーツだけは自作か手持ちのジャンクのパーツの中からそれらしい物を選んで取り付けている。 塗装もウレタンが主流の現在ではあるが、私は未だにラッカー・クリアを使っている。  

仕方なく選んだ今回のP2は、1965年のニュルブルクリンク1000Kmに出場したヒルとスチュワートが乗った275P2である。 330P2ではない。 

ラインのカーブが違ったり、テールのスポイラーが多少小さくスピナーにも難点があるのだが、おもちゃをいじれる時間にもゆとりが無いので、とりあえずこんなところで良しとするしかあるまい・・・。

・・・一番下の写真は大分前に製作した学研のP2である。 この頃はまだ父が存命中だったし、この車のボディーの改造にも結構苦労した思い出がある。(笑)

1/24 1966 Japan GP Fairlady S (NITTO)

タミヤのフェラーリP2はパテの乾きを待っていたり、ターゲット・モデルがなかなか決まらない事もあり小康状態が続いている。 その間に30年来の放置車両であった日東のフェアレディーに手を入れて時間を有効活用?していたのだが、こちらの方が先に完成してしまった。 おまけにゴルフのマスターズ・トーナメントも始まってしまいP2の製作は遅れに遅れている・・・。 

コグレのフェアレディーにも製作途中の物もあるのだが、こちらはそのまま組めば比較的簡単に出来るであろうと、あえて日東のジャンクボディーを第3回日本GPに出場したフェアレディーS仕様で製作してみた。 

既に大昔にリアのオーバーフェンダーは付けていたので当時のまま(ややオーバー気味)でそのまま製作した。  この日東のフェアレディーのキットはソフトトップ・モデルとハードトップ・モデルではフロントスクリーンの形状が違うのだ!  ・・・私も大昔の事でそんなことは忘れていた。

・・・既にスクリーンを切り離してしまった当時のボディーに、手持ちの新しいボディーからフロントスクリーンのフレームだけを切り出し接着してとりあえずの元型としている。  30年ほど前の事なので私自身もどんなSRを作りたかったのか?は思い出せないが、ソフト・トップのボディーをいじり始めてしまったので多分挫折したのだろうと思う・・・。

上の写真は工作過程を大分省略しているが、結局3台の手持ちのボディーを使う事となってしまった! スクリーンのフレームを切り取ってしまったボディーはどうするかな~・・・?   SCCA辺りを走ったオープンのSRにでもするほかはないだろう・・・。

シャーシーも手持ちのコグレのジャンクを装着しようかとも考えたのだが、ボディーも日東だし室内も自作になるので、使い道も無く浮いていた明治屋のアルミ・ラダーフレームを使用してみた。

内装等は日東のキットに入っていた物を利用したのだが、友人が当時のフェアレディーSの資料を沢山送ってくれたのでそれを参考にさせてもらい製作したのが以下の写真である。  

ホイルは当時のスピードホイルをレジン取りしたものを使い、タイヤはシリコンの合いそうなものを装着している。

・・・正直に云って、最近は歳のせいにはしたくはないが、なかなか思う様には作れなくなっている。(涙)