「ミス・マープル」

今週は、BSで連夜放送されている「ミス・マープル」に見入っていて、中々275Pが進まなかった・・・。
私はシャーロキアン(家族の中に2人ほどいるが・・)ではないが、「シャーロック・ホームズ」物と「ポアロ」、「ミス・マープル」等の英国TVドラマのファンである。
謎解きの面白さもさることながら、当時のヨーロッパ(イギリス)の風物(車、建物、風景、ファッション等)が好きなのである。
(特に20世紀前半のヨーロッパの風物は大好きだ。)
まったくの脱線話になるが、ここの所の民主党の迷走の行き着く果てを推理する方が、ミステリーの推理より遥かにたやすい様な気がする。(笑)
        
275Pの現在の進捗状況だが・・・、実車の写真が中々無いので、WEB上の1枚の絵から感じを掴んで進めている。
この車自体のヒストリーは中々のものなのだが、細かいところが良く判らない・・・。
例えば、リアにはナンバーが入っていたのか?(当時の模型の作例には入っているが・・・)、フロントにはフェラーリのエンブレムが付いていたのか?、内装のパネルは何色だったのか・・・?
(それにしてもこのロール・バーの位置では、リアのカウルが開かないが・・・?! 笑)
今回は間違った物を付けるより、判らないところは省略し、後で判ったときに対処しようと・・・、とりあえず手を進めた。
今回一番困ったのが、キットのハンドルを紛失してしまったことだ。
何台か同時進行しているので、どこかに紛れ込んでしまったらしく、
探すのに一晩無駄にした・・・。
とりあえず、似たようなハンドルをジャンクの中から探し出し取り付けてあるが、これも仮止めぐらいにしておこうと思っている。
最後の写真は、先程までいじっていたもので、左のライトの接着を抑える為にテープが貼ってある。(笑)
後は、明日小物を付けてとりあえず完成・・・!!

 スロット・カー・モビリア 


スロットカー・モビリアなどと云う言葉は聴いたことが無いと思う。
今回のブログを書くに当たり、今私が勝手に考えて付けてしまった造語である・・・。(笑)
オート・モビリアならば、古い車にまつわるカタログやマスコット、古い書籍、ポスター、パーツ等もろもろ、その範囲は広い。
60年代の爆発的なスロット・カーの世界的ブームは、実車の世界とは異なり、今に繋がる一つの文化とはなりえず、ミニスカートなどと同じで、ただの一時的な流行であったのであろうか・・・?
最近、海外ではこの時期の古いスロット・カーの再検証(考証)が幾つかのHPで見られるようになってきた。
確かに実車の様に生活に密着していた訳でもなく、産業構造に大きく関わっていた訳でもないので、文化というにはいささかマイナーすぎるきらいはある。
模型の世界で言えば、鉄道模型などは昔から”ホビーの王道”などと云われ、その発祥から現在までの時間的経過も遥かに勝っている。
その点から言えば、鉄道模型などは男のホビーとしての文化が既に寝づいていると云っても過言ではないだろうが、スロット・カーはどうだろう・・・?
(私は、未だに歴史が浅く趣味人口が少ないので文化と云うにはちょっとマイナーすぎる気がするが・・・、昨今の1/32のスロット・カーの充実振りは、第二期のヴィンテージ期ではないかとは思っている。  笑)
        
私の部屋のPCの上の棚には(ヤニと埃にまみれているが・・、)10年程前から当時のスロットカー・イベントのトロフィーが置いてある。
家内からは「止まった時計を置いといてなんになるの~?、掃除の邪魔なんだけど~?!」と云う苦情は始終寄せられている。
生まれてこの方、賞典などには縁の無い私では有るが、 ・・・確かに考えて見れば ”人様の勲章” を、さも自分の物の様に飾る ”浅ましさ” は他人の目から見れば余りにも悲しく映るだろう・・・。(爆)
私はただ、スロットカーのヴィンテージ期のオート・モビリア(単なるメモラビアか?)としてインテリアを兼ねて置いているのだ。
当時の少年達(?)がこのトロフィーを勝ち取る為にどれだけ楽しい苦労をしたことか・・・?!、・・・あの12~3才の頃を思い出す。
ふと、その情景を勝手に想像させてくれる、私にとっては現実逃避の楽しい小道具なのである・・・。

Monogramの275P

ここの所のアメリカのマスコミのトヨタ・バッシングは、裏にアメリカ政府の政治的意図が有るのではないかと思うのは私だけだろうか・・・?
今までどうにかGDP(国民総生産)世界第2位を確保してきたが、中国に抜かれることはほぼ確実だし・・・、逆に言えば、ビジネス二流、政治は三流のわが国が、良くここまでやってきたものだと、変なところに感心している(あきらめている)今週であった・。

今週、かかりっきりになっていたのがこの275P。
時間が有れば夜な夜な1~2時間ずつ製作しておりましたが・・・、まず、なかなか進みません!!
興が入れば3時間以上製作することもあるのですが、やはり次の日に応えます・・・。
以前、ブログ上でロードアトランタを走った車などと、その場の記憶で適当な事を書きましたが、調べてみたら、1965年のリバーサイドでした。  ・・・・済みません!
(3/17追記: またまた記載ミスです。1963年のリバーサイド200マイルでした。)
シャーシーは古い手持ちのプラフィットの改造で、そこらじゅうから使用済みのパーツを引っかき集めて製作してました。
(UPするのがちょっと恥ずかしい・・・・。 苦笑)
1回こっきりのセカンド・レースですし、昔の手持ちの車を持っていくより、作りかけのこの車もいつかは形にしなければならなかったので、頑張ってました。
今回は古典的なモノグラムのスタティック・キットをいじらずに、そのままボディー、ホイル等を使用しています。
(ロールバーを兼ねた整流板は付けてませんが・・・。)
フロント、リアとも、ホイル・アーチがタイヤにかかる車種なのでトレッドが取れません。
1.5mmクリアランスの車検に引っかかると、また厄介な事になるので、2mm強のクリアランスにしてあります。
(サイドからマウントが見えなくて丁度良いかも・・・・。)
作りかけの車だった事もあり、キットのホイル・パターンを今回そのまま使いましたが、このキット、フロントもリアもホイルのJが同じなんだ~・・・?! (知らなかった~・・・。 ちょっとな~?!)
おまけにフロントとリアのホイルに、タイヤを貼リ間違えてしまい、スーパーのスペースが取れなくなって、これまた一苦労してしまいました。
(外径はフロント26.5、リア28、レシオ14:40)
ここまで書くと、大体この車のポテンシャルが知れますね・・。(笑)

手持ちのイソ・グリフォをちょっと探し出してみましたが、ゴーセンのクリアも有りました~。
ラスキットのレプリカとはまたちょっと違う雰囲気ですが、そんなに悪くありません。
隣は遊びで切り出してみた、先日のレプリカ・ボディー。

LSの906

むかし遊んでいた車で、既にボロボロでブログにUPするほどの車ではないのだが・・・、今回の906LEのボディーとの感じを見るために、ちょっと引っ張り出してみた。
フロント周りは傷だらけで、スポイラーも折れ、レース毎に何回かのタッチアップもしている。
(この車もやはりLSのボディーからの製作であったが、フロントとリアだけはいじっている。)
この車を見るのも数年ぶりだが・・・、こんなジャンク車も未だに持っているくらいなので、我が家はゴミの山である。(苦笑)

今回製作している906LEは、いろいろ実車の写真を探したのだが良いアングルの物が無く、Web上から探した同車のスケール・モデルが見本になっている。
今回もそれほど正確なスケール・モデルを作ろうとしている訳ではないので・・・、ただ大体の雰囲気がつかめれば良いかな~・・・?と思っている程度だ。
フロント周りはどうにか上手く収まってくれた様だが、リアパネルの内側の曲面に今回も難儀している。
・・・後はリアのホイル・アーチを幾分削り込んだ方が良さそうだ。

PS: 最近入手したラスキット・レプリカのイソ・グリフォA3C.
この車も私の好きな車なのだが、モデルにはあまり恵まれていない様だ。
この車も全体の雰囲気は中々良いのだが・・・・。
なにせ60年代のクリア・ボディーなので、下回りの処理に難があるのは仕方な いところか・・・?

1/25 K&B COBRA GT (SeriesⅡ)


ここの所休みが取れていないせいか、体調がいまいち思わしくない・・・。
ここ2週間ほどは慌しかったうえに、単身赴任状態の生活をしていたので、今朝ほど、今日が”桃の節句”である事に気づいたくらいだ。


コブラ・クーペは、我々の世代には特にファンの多い魅力的な車である。
10年ほど前に、グンゼからデイトナ・クーペのキットが発売されるまでは、我々にとってコブラ・クーペのモデルはリンドバーグか、このK&Bのスロットのボディー・キットぐらいしか無かった・・・。
また、リンドバーグもK&Bも初期型のクーペをモデルにしているので、その後のグンゼやミニッツのボディーとはライト周りに違いがある。
(良く私達は、デイトナ・コブラとかデイトナ・クーペなどと呼ぶ事が多いが、デイトナを走る前の初期型は、やはりコブラGTとかコブラ・クーペと呼ぶべきなのであろうか・・・???)
実車の詳細な説明は割愛するが、Michael Shoneの “The Cobra-Ferrari Wars”や、 Dave Friedman他の “Daytona Cobra Coupes” がお勧めだ。
K&BのコブラGTの初期キットは1964年の発売なのだが、このシリーズⅡの発売が64年後半なのか、それとも65年の初期なのかは良く判らない。
多分、スーパー・チャレンジャー・モーターを載せた白箱のキットの発売が64年の後半であったので、その頃かもしれない。
スーパー・チャレンジャー・モーターに変わってから、車種もP2,ローラT70、シャパラルなどが追加され、スケールも1/25から1/24に変更されている。
初期に発売されたコブラGT,フォードGT、ポルシェ906(904)等もシリーズⅡに変更されるが、ボディーの外観が変更されたのはこのコブラGTだけである。
また、ごく初期のキットはスクリュー・タイプのホイルで有ったが、その後はコレット・タイプのホイルにすべて変えられた。
それにしてもこのコブラGTは非常に数が少ないのだが、ただ単に、初期型のクーペを小手先の追加パーツでごまかしたから人気が無かったのか? それとも他に何か理由が有ったのか・・?、
・・・・実は、その辺の事情も良く判らないのだ。