「少年老いやすく、学なりがたし・・・・」と、昔の人はよく云ったものである。
人生のステージも、夏、秋、冬とどんどん進んでしまい、最近ではちょっと ”ゆるむ” と、1週間ぐらいはあっと云う間に過ぎてしまう・・・・。
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ありきたりのカレラのディーノとポルシェ906ではあるが、改めて手にとって見てみると、新しい発見やささやかな疑問がわいて来たりして、これはこれで、私には中々面白い時間なのだ・・・。(笑)
シャーシーは以前にもUPしたが、単純なプラのバスタブ・タイプのもので、ホイルベースの変更はフロントのシャフト穴を移動(3段階)させることで調節出来る。 いたってアバウトでは有る。
初期のRTRのものは、ダイキャスト(多分、亜鉛ダイキャストではないかと思うのだが・・?)のホイルをシャフトに打ち込んだ、いたって簡単なものである。
私は、カレラ124の魅力の一つがこのダイキャスト・ホイルだと思っているのだが・・・、この初期物のホイルはいかんせん、引いてもねじっても叩いても、シャフトから取れるものではない・・・!! (笑)
黄色く塗ってしまってはいるが、最初はダイキャストの無垢地であった。 また、ネジ切りタイプのホイルにはプラのスピナーが付く。 #14のディーノの実車のホイルは黄色ではなく、ストライプと同じライト・ブルーだ。
無理をしてホイルを取ろうとすれば、ホイルに傷を付けてしまうか、シャフトを曲げるくらいが落ちであろう・・・。
(上手く抜けたとしても、インチのタップを切る以外には使い道は無いのだ・・・。)
したがってカレラの多くのRTRの車は、フロント、リアとも、ホイル、メタル(プラ)、シャフトをアッセンブリーで交換しなければならない。
(パーツもこの形で販売されていた。)
ディーノに限って云えば、2種類のホイルが存在し、後期型(これはキットのシャーシーだと最近まで思っていたのだが、後の他の一部のRTRの車にもこのシャーシーが使われている。)には普通のネジ切りシャフトが使われている。
シャフトは3mmなのだが、ネジのピッチが合わないので、当時の日本の3mmシャフトは使えない様だ・・・。
(当時、アメリカものはインチであったがドイツはmmであった事も、ある意味で面白い。)
後期型のシャーシーにはご覧のように、スイング・アームのストッパー用の芋ネジが付いていたり、フロント・シャフト下には、ネジ止めできるウエイトも付いている。
またカレラ124のモーターには殆んどコンデンサーが付いているのだが、これは何を意味しているのだろうか・・・?
今のところ、ホーム・サーキット用の車と云う事だったので、家庭内の周辺機器(TV等)にノイズが飛ばない様にする為ではないか? と云う話は伺っているのだが・・・。
カテゴリー: VSCC
③ Carrera 124
さてさて、松飾もそろそろ取れる頃なのだが・・・、前回、”大きな理由がある” などとちょっと大げさなことを書いてしまったのはモーターの事だったのだが、書くに当たって、説明がしどけなくなってしまって困っている・・・・。
元来、カレラのスロット・カーはホーム・サーキットを前提に作られたものである。
実のところ・・・、私はカレラの24の車を営業用サーキットで走らせた事が無いので、机上の空論的なところもあるので、以下の文章も話半分で読んでいただきたい・・・。 (笑)
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当時、私達が使っていたマブチの FT シリーズは、定格が12V 前後であったが、カレラの初期のビューラー社製モーターは15V 以上のキャパシティーがある様だ・・・。
それは最近のカレラ社の24の車にも云える事なのだが、中には18V 以上の電圧を要求する物もある。
ドイツのサイトを見てみると、この初期のビューラー社製モーターの許容電圧を18V~20Vと書いてある所もある。
ちなみに、手持ちの12Vのパックで回した所、そこそこの回転を得られたので、FT シリーズ程ではないが、日本のサーキットでも走らせる事だけは可能の様だ・・・。
(多分、F200より遅いだろうが・・・。)
最近のデジタル物はダメな様だ・・・。
(今、クラブのメンバーにもいろいろ聞いている最中である。 笑)
写真の上段は、当時のRTR等に良く付いていたビューラー社製のモーターで、O氏にうかがった所、缶のマークは ”モミの木” であるそうだ。
当時カレラに使用されたモーターは以下の物だった。
1 ビューラー社(2種)
2 HB モーター
3 Renn モーター
4 マブチ 16D 36D 26D 等
下はマウントにモーターを装着した状態の中期、後期の物だが、マウントにも違いが見られる。
ちなみに、手元には無いのだが・・・、26D 用のマウントは又別に存在する。
これは後にオプション・パーツとして発売された物の様だ・・・。
参考: Carrera 124 Motoren (web)
② Carrera 124
謹賀新年
正月も2日目になると、TVばっかりで時間を持て余し、時間のある内にと、ごそごそ動き始めた・・・。(笑)
今年も宜しくお願い致します。
カレラ社は1920年に先々代のヨーゼフ・ノイヒェルが、ニュールンベルクに程近いフェルトにブリキのおもちゃの会社を興したことに始まる。
1957年には既にイギリスでスケーレクストリックが発売されていたが、カレラ社は1963年に 1/32 のサーキット・セットを発売し、1967年に 1/24 のサーキット・セットの発売を開始する。
カレラ社は、1965~1967年の世界的なスロット・カー・ブームの中にあって、自社開発のサーキット・セットを販売、・・・つまり、ホーム・サーキットに主眼を置いた会社であった。
カレラ社は、その後何回かの財政危機(悲劇)を迎えるが、現在まで、当時と同じようにサーキット・セットの販売を継続している。
メルクリンをはじめとする幾つかのメーカーと同じで、ヨーロッパのスロット・カーは、小さいスケールの車のサーキット・セットが多かった。
(参考: Carrera124 web)
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Carrera 124の最初の車は、番号から推測してもポルシェ・カレラ6とディーノ206SPと云う事になるのだが、RTRの箱絵から、当時発売されていた車達がうかがえる。
これらの車が60年代のカレラ124の初期の車達であろう・・・。
今では32のカレラのスロット・カーなど、さして珍しい物ではないし、また、マニアの間でも速くないのか?、人気もいまいちの様だ。
24の車に関しても代理店が無いせいか?、あまり見かけることもない・・・。
実は、これには大きな理由があるのだ・・・。
① Carrera 124
Source: SLOTCARS MADE IN EUROPE 1930-1980
今年のクラブ・レースも11月末に無事終了し、ひとまずはホッとしているが、相変わらず私自身はバタバタしている。
来年の第1戦はニュルブルクリンクなので、時間が有れば車探しのネット検索で、夜のささやかな自由時間を過ごしている。
ブログ・タイトルにヴィンテージなどと付けてしまったが、実際の所、ここの所書いてる内容は手前味噌な無手勝流の車の記事ばかりだ。
実車の世界では、60年代中期頃までの車のことを、ヒストリックとかヴィンテージなどと一般的に呼んではいるが、実際にはもう少し細分化されたいる様だ・・・。
スロット・カーの世界でも実際の所、どの年代までをヴィンテージ・スロットと呼んだら良いのだろうか・・・?
来年は既に2011年になるし、21世紀も混迷は極めているが・・・、早や10年が経過したことになる。
最近、私自身は1970年(以前)までのスロット・カーをヴィンテージと呼べるのではないか・・? と、勝手に思っている。(苦笑)
当時の日本では、スロット・カーは国産物意外はアメリカ製が多かった様な気がするが・・・、ヨーロッパ物の当時のスロット・カーの事を、24中心に知っている範囲でのんびり書いてみようかと思う・・・。
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(ホイルが黄色いのは私が塗装したもので、オリジナルではない。)
今回は60年代当時の24のカレラのシャーシーだけをUPしてみた・・・。
左側から初期の物、中期(後期)の物、フォーミュラ用と並んでいる。
カレラ社は、この後基本的にはこのプラスティック製のシャーシーを使い、現代まで多くのスロット・カーを作ってきたドイツの老舗だ。
Serendipity (・・・偶然の出会い!!)
歳を取ると、頭の中では色々と行動予定を立ててはいるのだが、いろいろの諸事情(?)で実行出来ないでいる事が多くなる・・・。
今週もだらだらとJAGのドライバー・フィギュアだの内装だのをちょこちょこ進めていたのだが、ちょっと食傷気味だ・・・。
(やはり、TVでのんびり日本オープンなどを見てしまう。 苦笑)
そんな折・・・、縁あってか?、古いスケーレクストリックの車達が私の所に何台かやって来たので、丁度書くことに窮していたので、今回UPしてみようかと思う。
(UPに当たっては、又ダンボール箱をひっくり返す事にはなったのだけれど・・・。 笑)
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昔(と云っても15~6年前だが・・)、一時イギリスのスケーレクストリックのコレクターズ・クラブに入会していた事があるが・・・、最近は1/32のスケレに対する興味は大分失われかけて来ている。
時々、ヤフオクで破格値で現代のスロット・カーを購入することは有るのだが、それも稀である。
我が家に今週やって来た車達の中で、一番うれしかったのがFIATのTC600とトライアンフのTR4である。
(TC600は、最近再販されたと聞くが、結構良いお値段の様だ・・。)
昔、随分探していたのだが・・・、有っても高くて中々手が出なかった2台である。
期せずして、今回は向こうからやって来てくれたので、なんと ”幸福な偶然の出会い” であろうか・・・。
上段の右の写真はレストア途中のジャンク車で、10年以上、ダンボール箱の中で惰眠をむさぼっていた物。
いつもの事だが・・・、私の持っている車の殆んどはジャンクで、この車達もボディーがゆがんだり、熔けたり、タイヤが何個か無かったりのGOOD~POORなコンディションの代物達ばかりである。(爆)
取り合えず ”一度は手にとって見てみたい” との思いから入手したものなのだ!!
Dタイプは初期物で、ガイドのホールがラウンドではなくスクエアな物なのだが、久しぶりに箱から出したら、ミルクが腐った様な匂いがして、・・・これには閉口した!!
初期のスケレは、フロントがフローティング・シャフトになっているものが多く、・・・云ってみればガイドとリア・タイアとの3点支持で走っている車が多い。
DB4の一つのレンズは透明レジンであるし、1台のDは穴にパテ盛りを付している。
タイフーンはベルト・ドライブのサイド・カーで、ベルトは伸びてしまっているが、制作上のアイディアを提供してくれそうな面白いアイテムだ・・・。
「温故知新」とは、ちょっと違うけど・・・。
無事にクラブ・レースも終了し、ここの所数日はおもちゃには手も触れず、夜な夜な海外のスロット・カー・ビルダー達のブログなどを見ながらのんびりしている・・・。
TVを点けても、今年の猛暑と民主党の党首戦の事ばかりだ。
(”馬鹿もいい加減にしろよ~・・・” と、暑苦しいので切ってしまう事が多い。)
頭の中では、そろそろアトランティークや555や801等のシャーシーを形にしようと考えてはいるのだが、手は動かない・・・。
ちょっとのんびりして・・・、心と体に相談だ!!(笑)
今年に入り、春頃から時々覗いているのがこちらのブログ。
SLOTTY SALAD
(http://slottysalad.blogspot.com/)
SCRATCHBUILD GUILD
(http://scratchbuildguild.blogspot.com/)
その国々のお国柄とでも云おうか・・・?、アメリカ、日本、イギリス、フランスなどでは、スロット・カーに対する拘りも微妙に違うことに気付く。
(これはビルダーの個人的な問題なのかも知れないが・・・?!)
特にドール・ハウスやレール・モデルには伝統のあるイギリスのスロット・カー・ビルダー達の製作する車は魅力的だ。
SLOTTY SALAD では、実車のヴィンテージ・カーと同じ様に当時の古いモーター(私も見た事が無い)をわざわざ探し出してきて搭載している。
SCRATCHBUILD GUILD は、私の心に ”ぐさり” と来るクルマ達ばかりで、お国柄、1/32では有るが、アート、伝統工芸品の趣がある。
ボディーの塗装等も日本とはちょっと違い、ピカピカ、てかてかではないが、全体のバランス、色、ホイルのすばらしさ等は、正に ”車文化の伝統のなせる業” そのものと云っても良いのでは無いか・・・?!
一時の趣味ではなく、一生のホビーになっているのが羨ましい。
1/24 Monogram の マクラーレン・エルバ
毎日猛暑が続いております・・・。
私達の子供の頃は、「今日は30℃を越えたらしいよ~・・・。」などと云う会話と共に、その日が暑い夏の日であったことを表現していたが、今では、33~34℃は当たり前・・・・。
温暖化を本当に肌で感じると共に、昔のようにプラモデルをのんびり縁側で作る様な日々は、遠い日の出来事になってしまった様に感じる今夏である・・・。
私の工作室は狭い上に、現在クーラーが使えない状態にある。
別にクーラーが故障している訳ではないのだが、クーラーの出口には既にプラモデルの箱がうず高く積まれており、おまけに掃除をあまりしていないので、クーラーを入れるとダスト・ルームになってしまうのだ。
下山途中の身としては、40℃近い工作室に入るのはサウナに入ることを意味している。(笑)
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毎日少しずつだが進めているモノのM1Aだが、現状はこんな所をちょろちょろしている。
・・・その前に、モノグラムのマクラーレン・エルバに付いて、ちょっと触れておこうと思う。
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24のモノグラムのマクラーレン・エルバは、当時キットとホーム・サーキット付属のRTRの車しか発売されていなかったように記憶している。
(私は見たことは無いのだが、車だけのRTRも有ったかもしれない。)
当然、ボディー・キットの発売も無かった様だ。
当時、M1AはAMT、タミヤ、リンドバーク等から発売されていたが、このモノグラムの物はフロント部分がとてもユニークな形をしている様に思える。
(クリア・ボディーの中には、中々良い形の物があるが・・・。)
中央の写真は、キットから作った物と右はサーキット・セットに付属するRTRの車。
右は10年以上前に、ジャンクからレストアした物。
(デカルはプリントごっことインレタで作った様な記憶がある。)
RTRのマクラーレンは、シャーシーをキットやRTRのロータス38と共有するもので、インラインでFT16Dが載っている。
リア・マウントは、キットには無い特殊なはめ込み式のプラのパーツが付けられ、リア・タイヤも細めのゴムである。
シャーシーには別物のアルミのサブ・フレーム(プレート)が付いているが、これは何を意味しているのだろう・・・?
(私にはただのウエイトだけの様にも思えるのだが、インラインのシャーシーにはスイング・アーム等の穴がいくつか開いているので、それを隠す為の物なのか・・・?)
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私がジャンクと通常呼ぶような代物は、他の方から見れば殆んどゴミと云える代物である事が多い。(苦笑)
今回のボディーもフロントの左下部が欠けて無くなっていたもので、プラ板を液体接着剤で少しグニャグニャにして形を作り整形したものである。
ボディーの右サイドのドア部分にも大きなクラックが入っていたし、ボディーにも多少のねじれが有る・・・。
ねじれはこれから直すつもりでいるのだが・・・。(大笑)
1/24 Russkit Iso Grifo A3C ②
私の記憶の中には・・・・、 当時いくつかのクリア・ボディーの車を作ったが・・・、タミヤのブラスのスプリング・シャーシーにメーカーは失念したが、真黄色のシャパラル2Cと、36のレベル・シャーシーに白と赤のオッフェンハウザーのボディーを載せたインディーカーが残っている。
あの頃は、モーターもサーキットに来ていた年長の人達から、巻き直し物を譲ってもらって付けていた事が多かった・・・・。
自分でまともに巻き直しが出来るようになった頃には、既にモデルカー・レーシングは下火になっていた・・・。(笑)
私が通っていたホーム・コース(サーキット)には、当時、モデル・スピード・ライフに掲載された、四独のホンダF-1を作ったT氏も来ていた・・・。
T氏からは、グリーンの中古のCOXのフォードGTを譲ってもらった思い出がある。
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今回、衝動的に作り始めたレプリカのA3Cだが・・・、手持ちのジャンクの中から、キット・ユースの鉄(?)に黒塗装のパン・シャーシーを選んでみた。
このパン・シャーシーにはアルミ製の物も有り、アルミ製は後期に発売されていた?物の様だ。
(一部の車種には、廉価版のノーペイント・ボディーのキットと、ファクトリーペイントされた高価版の2種類のキットが存在するが、A3Cは、キットでは発売され無かった様だ。)
また、当時ラスキットがどのようなオプションのボディー・キットを発売していたのか・・・?、その全貌も良く判らない。
当時、ステーション・ホビーでラング・クーパーのクリア・ボディーは見たような気かするが・・・・?!
私の手持ちのジャンクも、後年入手したものである。
クリア・ボディーの場合、切り出してしまったり、塗装してしまうと、経年変化に弱い。
・・・その結果、シャーシーだけが残るという事になる。
今回使用したこの3ピースのパン・シャーシーだが、ジャンクなので総てがオリジナルではない。
出来るだけオリジナルの物を使用しているが・・・、ガイドとホルダー、リアのメタルとシャフト、センターのタッピング・ビスはオリジナルではない。
(リアのスポンジなどはパック物のオリジナルを新調してしまった・・・。)
このシャーシーの欠点は、切り出しとプレスが悪く、4点接地(ねじれ)に気をつけなければいけない事と、左右でホイルベースが微妙に違う事だ。
(メタル・ホールがずれている。)
又、タミヤD型と同じように、スーパー・ギアがホイルと一体になっている為、このギア付きホイルを使わないと、トレッドが合わなくなってしまう。
写真はとりあえず組んでみた物だが・・・、サッシ(ウエザーストリップ)とライト内等はいまだに思案中である・・・。
サッシは内側から上手く塗る自信がないのだ・・・・。(苦笑)
1/24 Russkit Iso Grifo A3C ①
4月も半ば過ぎだと云うのに、ここの所の小雨まじりの肌寒い天気は何なのだろう・・・?!
昨晩遅くPCを見ていたら、プライドの高いエリート集団である、アメリカのゴールドマン・サックスが米証券取引委員会(SEC)からCDOがらみの詐欺容疑で訴追されたと出ていた・・・。
リーマン・ショック以来、米国民の間にも税金の使い道に対する不満が起きており、最近ではティー・パーティー・ラリーなどという抗議集会活動が広がりを見せている。
オバマ政権もガイトナーの尻をたたいて、そろそろ集金活動に動き出したのかもしれない・・・。(笑)
最近の日本ではデモ活動も行われないほど、国民は精神的に疲弊しているし、政治には何の希望も見出せないでいる・・・。
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コルベットもそろそろ塗装でもしようかと云う頃合なのだが、雨ではまた失敗しそうなので、ちょっと躊躇している。
先日入手したラスキット・レプリカのイソ・グリフォ・A3Cの切り出したボディーがどうにも気になってしかたがないので、時間つぶしに遊びで色を塗ってみた・・・。
レジンのマスターにする以外は、ここ何十年、クリア・ボディーをそのまま作った事は無い。
クリアの良いところは内側から塗装するので、多少湿度が高かったり、簡単な刷け塗りでもそこそこ綺麗に見えてくれるのが助かる。
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このA3Cだが・・・、私の車好きの琴線に触れるボディー・デザインなのだが、実車の歴史などは殆んど知らないのだ・・・。
私が知っているのは、以前雑誌で読んだフェラーリ、アルファと渡り歩いたエンジニアのジオット・ビッザリーニがイソ・グリフォの市販スポーツ・カーをレーシーに発展させた車らしいと云う事くらいだ。
実車の解説は他の方のHPやブログに譲るとして、今回は手持ちのラスキットのジャンク・シャーシーから当時のA3Cのスロット・カーを作ってみようと思う。
やはり、透明状態ではクリア・ボディーの形の良し悪しは中々わからないので、とりあえず、1965年のルマン・カーをモデルに色だけ塗ってみた・・・。
デカルも残り物の中から似たような物を拾い出し、なるべく裏側から貼ったり、塗ったりを心がけた・・・。
65年のルマンモデルも、ホイルがゴールドなのかな~・・・? 嫌だな~!!
・・・裏側から塗ると云うのも結構難しい。
ラインがハッキリしないのだ・・・!!
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上の写真はイソ社から離れたビッザリーニがアメリカで販売した市販タイプのGTで、A3Cレーサーとはリア・ウインドウ等、幾つかの外観上の違いが見られる。
この車はイタリア製のボディーにGMのシボレーのエンジンを積んでいたが、当時のGMのコルベット(スティングレイ)と比べるとイタリア物とアメリカ物のデザイン、雰囲気の違いが良く判る。
(A3Cのプロトタイプのアルミボディーの製作は、先だってのフェラーリ250GTのドロコであった。)
隣は、その当時GMでコルベットのデザインを担当していた日系のラリー篠田氏。
シャパラルにも影響を与えたすばらしいカー・デザイナーである。
当時としては前衛的な篠田氏のそのデザイン・スケッチはスロット・カーのクリア・ボディーにも生かされ、何台かデザインしてる・・・。
正に才能ある、異色のカー・デザイナーであった。
スロット・カー・モビリア
スロットカー・モビリアなどと云う言葉は聴いたことが無いと思う。
今回のブログを書くに当たり、今私が勝手に考えて付けてしまった造語である・・・。(笑)
オート・モビリアならば、古い車にまつわるカタログやマスコット、古い書籍、ポスター、パーツ等もろもろ、その範囲は広い。
60年代の爆発的なスロット・カーの世界的ブームは、実車の世界とは異なり、今に繋がる一つの文化とはなりえず、ミニスカートなどと同じで、ただの一時的な流行であったのであろうか・・・?
最近、海外ではこの時期の古いスロット・カーの再検証(考証)が幾つかのHPで見られるようになってきた。
確かに実車の様に生活に密着していた訳でもなく、産業構造に大きく関わっていた訳でもないので、文化というにはいささかマイナーすぎるきらいはある。
模型の世界で言えば、鉄道模型などは昔から”ホビーの王道”などと云われ、その発祥から現在までの時間的経過も遥かに勝っている。
その点から言えば、鉄道模型などは男のホビーとしての文化が既に寝づいていると云っても過言ではないだろうが、スロット・カーはどうだろう・・・?
(私は、未だに歴史が浅く趣味人口が少ないので文化と云うにはちょっとマイナーすぎる気がするが・・・、昨今の1/32のスロット・カーの充実振りは、第二期のヴィンテージ期ではないかとは思っている。 笑)
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私の部屋のPCの上の棚には(ヤニと埃にまみれているが・・、)10年程前から当時のスロットカー・イベントのトロフィーが置いてある。
家内からは「止まった時計を置いといてなんになるの~?、掃除の邪魔なんだけど~?!」と云う苦情は始終寄せられている。
生まれてこの方、賞典などには縁の無い私では有るが、 ・・・確かに考えて見れば ”人様の勲章” を、さも自分の物の様に飾る ”浅ましさ” は他人の目から見れば余りにも悲しく映るだろう・・・。(爆)
私はただ、スロットカーのヴィンテージ期のオート・モビリア(単なるメモラビアか?)としてインテリアを兼ねて置いているのだ。
当時の少年達(?)がこのトロフィーを勝ち取る為にどれだけ楽しい苦労をしたことか・・・?!、・・・あの12~3才の頃を思い出す。
ふと、その情景を勝手に想像させてくれる、私にとっては現実逃避の楽しい小道具なのである・・・。
