② 1/24 Lotus30 (K&B: RTR)

初めてのコースでの開催であった全米オープンゴルフも終わってしまい・・・、気が付けば今年も6月の後半になってしまった・・・。  5月6月と、陽気も暑かったり涼しかったりと結構天候不順な日が多く、私自身もちょっと体調を崩していたので、既に完成していたこのロータス30のブログもなかなか書く気になれないでいた・・・。

ジャンクとして長い事眠っていた車を簡単に製作したものなのだが、唯一の大きな変更点はホイルをRMクラフトのダイキャストホイルに変更したこと位であろうか・・・?!  K&Bのホイルも御覧の様に初期のロータス30(13インチ)にしては多少大きめのポジロック・ホイルが付いていたので、大きさ的にはK&Bのオリジナルとそれほどの差はない。 

デカルも手持ちの残り物を使用しているので、フロントとリアでは字体が異なっている。 前後のホイルアーチには修正時に小さなフランジを追加してある。  また前回のUP時にはワイパーをつけ忘れていたので追加した・・・。

初期のロータス30はイギリス本国ではスポーツカー・カテゴリーに含まれる車で、ロールバー無しの車やフロントスクリーンにワイパーが付いた車が幾つかのレースを走っている。 当時の世界スポーツカー選手権のレギュレーションとイギリス・スポーツカー選手権のレギュレーションの違いが、同型車でもイギリス国内での同時開催時のレースでその違いが見られて面白い。 

この#55の車は1965年のプログラムの表紙にはなってはいるが、前年の64年の5月に行われたシルバーストーン・インターナショナルにイアンウォーカー・チームから出場した3台の中の1台で、クラークがドライブしたものである。 リアの形状は資料の写真が見つからず想像での製作になっている。

当時のスロットカーではキャブのラムパイプに透明プラスティックのカバーが掛けられている車が殆どであったが、簡単なメッシュのカバーだけであったり、ロールバーすら付いていない(欠品かと勘違いされるかもしれない)ロータス30の低く流麗な曲面ボディーが、後の空力改造パーツが増えてしまったロータス40等と比べると、私にはクラッシックで新鮮に感じられるから不思議だ・・・。

① 1/24 Lotus30 (K&B: RTR)

今年の5月の連休には田舎にも行けなかったし、娘の交通事故被害などでバタバタしていて、久しぶりに10日ほどおもちゃにも手を付けられない状態が続いていた。 (幸いにも娘の横断歩道歩行中の交通事故被害が軽傷で、数日の入院で済んだことが何よりであった!) 

私だけではないだろうが・・・、そんなこんなで自分の中で夢見ていた老後とは程遠い現実なのだが、これも人生、運命、宿命などと云うものなのだろうか?、じたばたしても仕方がない事であるのだが人生とはなかなか思い通りに行かないものらしい。  そしてまた、ブログを書くのも億劫になって来ている・・・。(苦笑)

最近は老眼も進みおもちゃも上手く作れなくなってきているのだが、タミヤのP2製作時の“待ち時間”にジャンクのK&Bのロータス30をいじってみたのでUPしてみようかと思う・・・。 

素材は写真の様なオレンジのジャンクカーで、上下のボディーを6か所タッピングビスで留める事でFT36モーターをしっかり抑え込むことが出来る。 フロントの軸受けは鉄製の別パーツでこれもネジ止めだ。 

車にはマブチのFT36がSWで搭載されているのだが、その割にはボディーの固定用のネジのポストの為か?、COXと比べるのはちょっと可哀そうだが、コックピットの造作が簡素でやや貧弱な感じがする。 箱には9V ローヤル ボブキャット モーターと記載されている。

ボディーカラーはオレンジと御覧の様なダーク・グリーンの2種類だけであった。 プラスティック・ボディーではあるのだが、K&Bとしては珍しいノーフレームの車で、イマイのF1シリーズやMPCの1957年リベントロウ・スカラブ、ランチャ・フェラーリと同じ様なモナカ形状のボディー構造を取っている。(私は以前からK&Bのフレームの種類は他のメーカーと比べても多いメーカーだと思っていた。 それが今回はノーフレームの車である!)

この車はK&BとしてはCOOPER-F1と同時期(1964~1965年初期)に発売されたRTRのみのスロットカーで、御覧のような箱入りの物と、ビニール袋にただ完成車が入れられた形での2種類の販売方法がとられていた。  

RTRのスロットカーの残念なところは、綺麗に塗装された現在の1/32のRTRのスロットカー達と同じなのだが、車種によっては本来実車には無い金型合わせの為のラインがボディー上に出てしまう事だ。  このロータス30もモナカ構造の為、ボディーを真横に切った様な合わせのラインがしっかり出てしまっているが、パーティングラインや合わせのラインが気になってしまうのは、今の目で見ているせいからかも知れない・・・。 

当時の子供達がガンガンサーキットで走らせた事を考え併せてみると、このモナカ構造のボディーは通常のプラスティック・ボディー+金属シャーシーのスロットカーよりもクラッシュした時の剛性は良かったかもしれない・・・?!

 

④ 1/24 Ferrari 330(275) P2 (TAMIYA)

コロナ禍以来、外出が少なくなってしまった我が身にとって季節の移ろいは思った以上に早い様で、桜が終わったかと思ったら新緑が目にしみる時期がまた廻って来ていた・・・。  おまけにもうじきゴールデン・ウイークも始まる・・・。

どうにか無理をしてタミヤのP2を仕上げてはみたものの、予定していたルマンのNo22のクーペとは程遠い普通のオープンのP2をまた作ってしまった~・・・。 ・・・No22のP2には機会を見つけて再挑戦するしかあるまい。

好きな車なのだがどうもフェラーリのP2とは子供の頃から相性が良くないのか・・・?、メーカーが違うだけで、同じ様な車ばかりを何台も作っている気がする。 ・・・それも毎回製作には結構苦労しているのだ!(苦笑)

今回はタミヤの再販ボディーのパーツを出来るだけ使用して手間を省いてはいるし、そぐわない様なパーツだけは自作か手持ちのジャンクのパーツの中からそれらしい物を選んで取り付けている。 塗装もウレタンが主流の現在ではあるが、私は未だにラッカー・クリアを使っている。  

仕方なく選んだ今回のP2は、1965年のニュルブルクリンク1000Kmに出場したヒルとスチュワートが乗った275P2である。 330P2ではない。 

ラインのカーブが違ったり、テールのスポイラーが多少小さくスピナーにも難点があるのだが、おもちゃをいじれる時間にもゆとりが無いので、とりあえずこんなところで良しとするしかあるまい・・・。

・・・一番下の写真は大分前に製作した学研のP2である。 この頃はまだ父が存命中だったし、この車のボディーの改造にも結構苦労した思い出がある。(笑)

1/24 1966 Japan GP Fairlady S (NITTO)

タミヤのフェラーリP2はパテの乾きを待っていたり、ターゲット・モデルがなかなか決まらない事もあり小康状態が続いている。 その間に30年来の放置車両であった日東のフェアレディーに手を入れて時間を有効活用?していたのだが、こちらの方が先に完成してしまった。 おまけにゴルフのマスターズ・トーナメントも始まってしまいP2の製作は遅れに遅れている・・・。 

コグレのフェアレディーにも製作途中の物もあるのだが、こちらはそのまま組めば比較的簡単に出来るであろうと、あえて日東のジャンクボディーを第3回日本GPに出場したフェアレディーS仕様で製作してみた。 

既に大昔にリアのオーバーフェンダーは付けていたので当時のまま(ややオーバー気味)でそのまま製作した。  この日東のフェアレディーのキットはソフトトップ・モデルとハードトップ・モデルではフロントスクリーンの形状が違うのだ!  ・・・私も大昔の事でそんなことは忘れていた。

・・・既にスクリーンを切り離してしまった当時のボディーに、手持ちの新しいボディーからフロントスクリーンのフレームだけを切り出し接着してとりあえずの元型としている。  30年ほど前の事なので私自身もどんなSRを作りたかったのか?は思い出せないが、ソフト・トップのボディーをいじり始めてしまったので多分挫折したのだろうと思う・・・。

上の写真は工作過程を大分省略しているが、結局3台の手持ちのボディーを使う事となってしまった! スクリーンのフレームを切り取ってしまったボディーはどうするかな~・・・?   SCCA辺りを走ったオープンのSRにでもするほかはないだろう・・・。

シャーシーも手持ちのコグレのジャンクを装着しようかとも考えたのだが、ボディーも日東だし室内も自作になるので、使い道も無く浮いていた明治屋のアルミ・ラダーフレームを使用してみた。

内装等は日東のキットに入っていた物を利用したのだが、友人が当時のフェアレディーSの資料を沢山送ってくれたのでそれを参考にさせてもらい製作したのが以下の写真である。  

ホイルは当時のスピードホイルをレジン取りしたものを使い、タイヤはシリコンの合いそうなものを装着している。

・・・正直に云って、最近は歳のせいにはしたくはないが、なかなか思う様には作れなくなっている。(涙)

③ 1/24 Ferrari 330 P2 (TAMIYA)

6ネーションズもアイルランドの全勝で終了し、WBCもいよいよ準決勝まで勝ち上がってきた。 後は優勝(全勝)のみだ!!

・・・だいぶ過ごしやすい陽気になって来たな~と思ったら、また桜の季節がめぐって来た。  借景の桜も幾つか花を付けだしているし、欅にもみずみずしい若葉が大分芽吹いいる。

年初より苦労していたタミヤのP2の再販ボディーも粗だらけだが大分(それらしい)形になってきた。 フロントにも1mmほど肉付けしたし、リアサイドのダクトもどうにか穴が開いた・・・。  テール下の肉付けが多少足りないかな~?とも思うのだが・・・、こんなところで妥協することとした!  ・・・・なんだかんだでパテ盛り削りを4~5回以上は繰り返しただろうか?! 

両リアサイドの排気ダクトの内張りはどうやって作ろうか?と散々考えさせられた挙句に、内服薬のカプセルのケースを切り出して張り付けてどうにかごまかしている。

前述したが、子供時代の思い出を引きずりながら65年にルマンを走った#22のルーフ付きのP2(リタイア)を作る予定でいたのだが、合いそうなルーフもなかなか見つからず、既にアキもきはじめているので、学研のP2ではないが普通のオープンのP2に仕方なく切り替えようと思っている。(苦笑)                                                 (また前回製作したホーソンのMk1ジャガーのフロントのオーバーライダーの位置もなんとか直したいものだと未だに気にしているのだ・・・)

K&Bのボディーもいまいちなのだが、166Pのルーフが幅だけは合いそうなのでK&Bのボディーで、あまりいじらずに22番は行こうかと思っている・・・。(それにしてもハセガワの166Pはボディーが大きいな~?!)

話がP2からちょっと離れるのだが・・・、当時ハセガワから発売されたディーノ166Pのスロット・キットは別にして、その後のボディーの多くはアトラスから出戻った金型から製作されたものが多い様だ。  

一番下の写真の左がキットのボディーの物なのだが、インパネの裏側がスッキリしているのが判ると思う。(右の写真はアトラスからの金型直しの跡が見られるボディー)  

キット発売直後にアトラスに渡った(貸し出された?)金型には長いポストが存在し、結局アトラスからはキットとしては発売されず、オートワールドから赤のボディーキット(パーツキットも有った)として発売されていた。 

そのアトラス帰りの金型のポストの穴埋めをした金型で製作されたのが、後に発売されるモーターライズバージョンやボディーキットだった様だ! 

② 1/24 Ferrari 330 P2 (TAMIYA)

2月の日曜日の深夜はいよいよ佳境に入って来た”6ネーションズ・ラグビー”をTV観戦していたので、「春眠暁を覚えず」ではないが月曜日の起床が辛くなっている・・・。 そして、2月ももう終わりか~・・・?!

それにしても、なんでタミヤのP2なんかに手を出してしまったのかと、製作を始めてから実の所後悔しているのだ。 各社ともに一長一短はあるのだが、今回のタミヤのP2には久しぶりに難儀している。  

アップ した写真は上からK&B、ストロンベッカー、アトラスとなっている。  以前にも学研のP2を製作した物が有るのだが、ちょっと探してみたのだが現在は所在不明だ~・・・。(苦笑) 

今回、手持ちのP2のジャンクのスロットカーを何台か引っ張り出して当時の各メーカーの車達を見比べてみたのだが、タミヤのP2が一番デフォルメがきつく修正しなければならない箇所が多い。    いや、多すぎるのだ!!

特にリアパネルの下部のボリュウムが足りず(殆ど無い)まるでカレラ6のリアの様である。 フロント周りとリアを少し延ばせば・・・、などと簡単に考えていたのだが、この下部の積層だのパテ盛りなどだけでも相当時間を取られてしまった。

・・・自分でもなんでタミヤのP2のボディーを急にいじり始めたのか?、ボケの始まりではないがつい最近の事なのに判然としない。 多分、以前友人との話に出てきた65年のルマンを走ったクローズド・ボディーの#22のP2(275P2)でも作ってみようか?と思った事が始まりだったのかもしれない。

一番下の写真が昨日までのボディー進捗状況なのだが、未だに写真等と見比べながら半信半疑の状態だ~・・・!

・・・このボディーはいじってはいけない!!(笑)

① 1/24 Ferrari 330 P2 (TAMIYA)

先日、友人とのメールのやり取りの中でタミヤのP2の話がでた。 ・・・実は子供の頃に私はこのタミヤのP2のキットを買った(祖母に買ってもらった)ことがあるのだ。 その頃の友人達の多くはマクラーレン・エルバを購入していた。 ・・・また友人のこのマクラーレン・エルバが結構安定していて、地元のサーキットでもとても良い走りをしていた・・・。

私もマクラーレンが欲しいと子供ながらに思ってはいたのだが、皆がマクラーレン・エルバを購入していたので、へそ曲がりなたちなのか?フェラーリのP2を購入してしまった・・・。 シャーシーはタミヤのブラス製のリアにサスが入ったエルバと同じ物なのだが、キットのブリスターを楽しみに切り開いてボディーを取り出してみた時には、あまりのカッコ悪さにいささかガッカリした思い出がある!

以前にもこのタミヤのジャンクカーから1台製作したことがあるのだが、既に大人になってからの事なので、・・・こんなもんだったか~?と、当時のショックも忘れて、出来るだけオリジナル状態で製作してみた。 (一番下の写真が昔製作したタミヤのP2である)

今回は数年前に再販されたスロットのボディーキットを使用して、自分のイメージに合うP2に出来ないものかと、他のメーカーのジャンクと見比べながら、このボディーの問題点(子供の時に感じたカッコ悪さの原因)を探しながら製作してみようかと思う。 やはり再販ボディーの中でもこのP2が一番デフォルメがきつ過ぎるのか?、あまり人気はない様だ・・・。

上の写真は手元にあったアトラスとK&Bのボディーを並べて写真を撮ったものだが、こんなに全長が短かったのかと驚かされる。ちなみに当時1/24スケールで発売されていたハードボディー・スロットカーには、タミヤ、学研、アトラス、K&B、ストロンベッカー、ファーレル等があり、クリアボディーの物ではモノグラムを始めとして数社から発売されていた。

・・・またいつもの様に切った貼ったの作業になるのだが、後の修正も考えて、フロントのホイルアーチ中心部を4mm、テール部分に2mmのプラ板を切断後に追加してみた。 一番気になっていたのがライトハウジング後からホイルアーチ前部部分までの幅がない事だ。 テール下部も他のキットと見比べると大分ボリュウムが少ない様だ・・・。 

未だにどのP2を作るかも決めてはいないのだが、はたして上手くいくだろうか・・・?(笑)

1/24 1957 Jaguar Mk1 (M.Hawthorn) : Tamiya

1月もすでに20日ともなると正月気分はとうに抜けて、いつもと変わらぬ日々の生活に戻っている。 ・・・ここ数年の正月もコロナ禍でもあり、昔の様なにぎやかな正月を迎えていた訳ではなかった・・・。

最近はブログやメールを書くにも、キーボードの打ち間違いや ”てにをは” にも今まで以上に注意しなければならなくなってきている。 仕事や家族間の通常の会話でも語尾がはっきりせず、お互いに聞き返す事も増えた様な気がする。(涙)

昨年から再製作を始めたタミヤのジャガーも、ここにきてやっとそれらしくなってきた。 前にも書いたが、リアにゼッケンサークルを入れてしまったために頓挫せざるを得なくなった車なのだが、MkⅡからMkⅠへと色々手を加えた好きな車なので、無下に捨てるわけにもいかないボディーであった・・・。

暮れから正月休みにかけて細々したパーツを作ったり、スクリーンを貼り込んだりと結構時間はかかってしまった。 ・・・やはり数年置いてから再製作する車は小傷も付いてしまうし、既に作ってあったパーツを忘れて再度作り直したりとか、結構ポカをやっている。 今回のモデルにはスロットカーとして走らせるには一番不要な外装の細かいパーツが多い事もその一つだ。 ・・・おまけに出来もいまいちである。

タミヤのMkⅡに入っているインレタ風のトリミングテープ(既に洋白線に変えておいた)やボンネット上の象徴的なジャガーのマスコット、フロントバンパー上のジャガーオーナーズクラブやBRDCのカーバッチ等も出来るものなら省きたいパーツだ。 

大体形になり、最後にデカルを貼って終わりにしようかと思っていたのだが・・・、保存が悪かったのか?細かいマーク類のデカルが殆んど使い物にならなかった。 仕方がないのでグリル上のジャガーのマークも赤の塗料でただの丸だけを書いたものである。

再製作中に一番困った事と云えば、フロントバンパーが実車とは違う事だ!  バンパー上にあるオーバーライダーの幅が広いのである。 さすがにどうしたものかと思案したが・・・、こればっかりは切り離して作り直してレジン取りでもしなければ製作出来ない。 

両サイドのフォグランプ?の位置が変わり、フラッシャー(ウインカー)ランプが隠れてしまい顔つきが変わってしまうが・・・、ここはすっぱりあきらめて、とりあえず完成としてしまった!  ・・・トランクフードの鍵穴もつけ忘れている。(苦笑)

PS: マイク・ホーソンは、レース引退3か月後の1959年1月22日に一般道での交通事故で亡くなっている。

③ 1/24 1956 BRM P-25 (Merit)

一日が終わり夜遅くおもちゃをいじり始める頃、窓を開けると今年も同じように金木犀の香りが静かに流れ込んでくる・・・。  ・・・しばし”ぼ~っ”として作業の手を休め、一服しながら頭の中が香りで空っぽになる。  人間の感性とは不思議なもので、味や香りで昔の古い記憶や思い出が漠然と蘇ってくるのだ。     ・・・COXの赤いチータ・ボディーの甘い香り?!

今回のBRMも大分手抜きの部分が多いのだが、ボディーカラーだけは今まで製作したBRMの中では一番気に入った色になったと思っている。  ボディー自体はスジボリの反転以外は殆どいじらず、欠品パーツを製作したり、あるいはジャンク・パーツの中から拾い出して取り付けただけの車である。  したがってこの車ではあまり目立たない、フロントやリアのアーム類も今回は付けなかった。

この車の発表当時の写真が少なく、またホーソンも2レース程しかこのP-25には乗っていないし、結果も殆ど出せないままBRMから再度フェラーリに移籍しているので、今回の製作車の細かい部分も不明な点が多くなっている。

メリットのオリジナルのジャンクと並べて写真を撮ってみたのだが、見た目はドライバーが乗ったスタティックモデルと殆ど変わらない感じだ。  だが全体の雰囲気を考え見れば、オリジナルのジャンクのスタティックの車の方が、タイヤを含め当時の感じが良く表現されていて、やはり秀逸なキットであったことを再認識させられる・・・。

② 1/24 1956 BRM P-25 (Merit)

行楽のシーズンでもある9月もすでに終盤を迎えてしまったが、未だにコロナ禍でもあり、おまけに台風だの線状降水帯だのと雨の日ばかりが続き、外出どころか作った車のボディーにも塗装を出来ない日が続いていた。 昨日のお彼岸のお中日だけは雨に降られず上手く墓参を済ませる事が出来たが・・・。

このMeritのP-25も毎晩時間を見つけては少しずつ進めてはいたのだが、毎度の事だが1~2時間ほどの製作時間では思う様には進まない。 今回のP-25は1956年当時のデビュー車両がモデルになっているのだが、実車も56年のレースでは ”鳴かず飛ばず ” の状態で、直ぐにボディー、リアサスを始めとした大改造が進められた様だ・・・。

今回の車はMeritのオリジナルモデルを出来るだけ忠実に再現したつもりなのだが、欠品パーツもいくつかあり、それらの製作にも結構時間を取られている。 

一番の問題であったリアのタイヤにはどうにかカレラ用の中溝有のシリコンタイヤを見つけ、メリットのモデルとほぼ同じ感じ(同サイズ)に制作することが出来た。(シリコンタイヤの中溝を、古いジャンクのフロント用スポンジタイヤで埋めている。)

後は外装パーツの幾つかを作らなければならないが、レーシングスクリーンが2次曲面の様なので、ヒートプレスでも簡単に出来そうなのでその点は助かっている。

下の写真は、ジャンクの余り物のリム幅の違うホイルを切り出し、レジンのインナーとの合わせホイルを製作した時のものだが、・・・既にタイヤも接着し、おおよそのの芯出しも済ませてある。 ・・・多少手間はかかったが、リアにそれらしい感じのシリコンタイヤを見つける事が出来たのはラッキーだったかもしれない。

その下は自作のエグゾーストパイプとやはり欠品のサイドミラーを2~3mmのプラ棒と、太さの合いそうなライナーから削り出して作ってみた。

やはりホイルの元型が綺麗ではなかったせいか、レジンのインナー表面にも僅かな凸凹が存在し、塗装を付してもなかなか綺麗なホイルにはなっていない! (最近はMrカラーのメッキシルバーNEXTが欠品の様でなかなか手に入らないので、スピナーの光沢が出せなくて困っている)